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株式会社クラレ

株式会社クラレ(本社:東京都千代田区、社長:伊藤文大)は、このたび、当社が1950年11月に国産技術により世界で初めて工業化した国産初の合成繊維ビニロンが、日本の科学技術の発展を示す貴重な資料として、独立行政法人国立科学博物館の重要科学技術史資料(愛称:未来技術遺産)に登録されましたのでお知らせします。
ビニロン誕生から60周年を迎える記念すべき年に未来技術遺産に登録されることは意義あることであり、価値ある素材として後世に残していく責任を果たすとともに、産業の発展に役立つ新しい価値の創造に取り組んでまいります。
なお、来る10月6日(水)、国立科学博物館(東京都台東区)にて登録証の授与式が行われます。

『未来技術遺産』として登録された合成繊維ビニロン(登録番号 第00056号)
国立科学博物館地球館2階にてパネル展示されます(会期:10月5日(火)~10月31日(日))

独立行政法人国立科学博物館は、日本の科学技術発展の発展を示す貴重な資料の保存と活用を図り、次世代に継承していくことを目的に、2008年、重要科学技術史資料の登録制度を制定しました。科学技術の発達上重要な成果を示し、次世代に継承していく上で重要な意義を持つものや、国民生活、経済、社会、文化のあり方に顕著な影響を与えたものが選定されます。これまでに45件の登録があり、今回新たに27件が登録されました。

1.ビニロンとは

  • ポリビニルアルコール(ポバール)を原料とする合成繊維で、京都大学の桜田一郎教授らによって1939年に開発され、当時「合成1号」と名付けられた。
  • 日本における合成繊維の第1号で、1950年11月に当社が世界で初めて工業化(岡山工場)した。
  • 合成繊維の中で最も親水性(標準状態で水分率3~5%)があり、高強力で耐候性(紫外線による劣化が少ない)に優れる上、アルカリや酸に強いのが特長。

2.用途の広がり

  • 当初、天然繊維である綿の代替として衣料、麻・綿の代替として漁網、帆布・ロープ等に展開した。
  • 1960年頃、ビニロンの強力を生かしたビニロン学生服や漁網・ロープ用ビニロン糸「クレモナ万漁」が大ヒットし、広く一般にビニロンの存在が認知された。
  • 1970年代前半になると、ポリエステル、ナイロン、アクリル等の台頭により、ビニロンは高強力、高弾性率、親水性、耐薬品性、耐候性などの特性を生かせる分野に特化し、帆布、ロープ、寒冷紗(農業用メッシュ状織布…防虫、遮光用途等)、海苔養殖網等の農水産資材、各種基布、特殊衣料(消防服、作業服等)へと展開を進めた。
  • その後、製紙用原料(無水銀アルカリ電池セパレーターなど)、自動車用オイルブレーキホース、難燃素材など、工業資材分野を中心に用途を展開している。
  • 一方、人体への影響が問題視されているアスベスト(石綿)に代わるセメントの補強材としても、欧州を中心に需要を拡大している。

3.ビニロンの歴史

1939年4月 京都大学の桜田一郎教授らによって水溶性ポリビニルアルコール系繊維が発明され、「合成1号」と命名
1940年10月 岡山工場内の研究所に製造試験設備設置
1949年5月 商工省により「合成繊維工業の急速確立に関する件」が決定され、ビニロンの集中生産企業として当社が指定された
1950年11月 岡山工場で日産5トンの操業開始
1953年4月 政府により「合成繊維産業育成対策」が決定され、ビニロンの官公需用途拡大の契機となる
1959年9月 独ヘキスト社と製造技術輸出契約締結
1959年12月 仏ローヌ・プーラン社と製造技術輸出契約締結
1960年4月 米エアリダクション社と製造技術輸出契約締結
1963年6月 中国技術進口公司との間にビニロンプラント輸出議定書調印(1966年5月プラント引渡し)
1983年4月 セメント補強用ビニロン繊維を開発、スイス・エターニット社に輸出成約
2008年12月 現在の生産能力:年産40,000トンに至る

4.ビニロンをめぐるトピックス

(1)社運をかけたビニロンの企業化

  • 当社は、終戦直後の1946年からビニロンの研究を再開し、その工業化を目指した。当初、政府の合成繊維育成対策のもと、政府からの資金援助を期待していたが、閣議によって否決され資金調達に著しい困難を生じた。
  • 当時の社長であった大原總一郎は、「一企業の利益のために興す事業ではなく、日本の繊維産業を復興するものだ」と熱く弁じ、日銀総裁にまで直談判し、協力を求めた。
  • こうした熱意により、1949年に15銀行による14億円の協調融資がようやく成立した。これは当時の資本金の6倍近い額であり、社運を賭けた事業となった。
  • 当社の祖業であるレーヨンの技術確立や、このビニロンの企業化を通して、「世のため人のため、他人のやれないことをやる」という現在まで当社に引き継がれる社会的責任と独自技術を追求する文化が生まれた。
  • またビニロンの企業化は、当時他社が事業化を進めていたナイロンやその後のポリエステルと異なり、海外からの技術導入によらず原料も国産のカーバイドを使用するという純国産だった。そのため、敗戦によって自信を喪失した日本人に自信を復活させる一つの契機になったといわれる。

(2)ビニロンプラント輸出は西側諸国から中国へのプラント初輸出

  • 1958年、中国化学工業考察団が来日し、その際民生用繊維増産の目的でビニロンプラント輸入の申し入れがあった。その後交渉を重ね、1963年6月北京にて当社と中国技術進口公司との間でビニロンプラント輸出契約が調印された。
  • 国交回復前の日中間にあって、中国へのプラント輸出は極めて異例のケースだったが、その背景には、大原總一郎の戦争で被害を受けた中国国民に対する“贖罪”という意識があった。「繊維に不足を告げている中国人大衆にとって、いささかでも生活の糧となり、戦争によって物心両面に荒廃と悲惨をもたらした過去の日本人のために、何程かの償いにでもなれば」という使命感に裏打ちされた事業だった。
  • しかし、当時は日中間に国交が樹立されておらず、また台湾政府との関係もあって政治問題化した。この情勢の中、当社が政府や政党幹部、中国在勤の西側外交筋へ積極的に働きかけた結果、LT覚書(1962年に調印された『日中両国民間の長期総合貿易の発展に関する覚書』)による日中貿易の目玉として強力な支援が得られ、無事政府の輸出承認を得ることができた。
  • これが、西側諸国からの対中国プラント輸出の第一号となった。

(3)アスベスト代替用途に需要が拡大するビニロン

  • アスベスト(石綿)は、セメントの補強材として広く使用されてきたが、健康への悪影響が指摘され始めた。そのため、ドイツ、スイス、イタリア等欧州で使用が規制され出し、世界各地に広がっていった。日本は2004年10月以降全面使用禁止になった。
  • ビニロンは、セメントとの混用に不可欠な耐アルカリ性、さらに高強力、高弾性率、セメントとの優れた接着性など、アスベスト代替材としてほかの繊維に見られない優れた性質を有している。
  • 現在、アスベスト代替材としての他素材に対するビニロンの優位性は高く、欧州のみならず日本国内でもその需要が拡大している。また、今後東南アジア、東ヨーロッパ、中南米でも需要を見込んでいる。

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以上