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2008年1月22日(火)日本経済新聞(朝刊)の広告企画「~今、若者たちへ~ 君に伝えたい私の経験」に
当社社長 和久井康明のインタビューを掲載しました。

当事者意識持ち 随所に主となれ
連携でスピード速まり 広がる世界

就職に際し、トップの人格的な魅力に引かれて会社を選んだというクラレの和久井康明社長。自身その立場に置かれている今、若い人には「ああいう人が社長になっている会社なら好きなことがやれそう。格式張らない自由闊達(かったつ)な社内の雰囲気が認められれば、それに越したことはない」とさらりと笑う。入社後の体験に照らし、若者に望むことを語ってもらった。

PDCAを実践 ようやく達成感

学生時代は授業はほどほどに、図書館で新聞や雑誌、本を片っ端から読んでいました。成績はそこそこ、部活はやっていない、アルバイトに精を出したふうもなく、話をすれば生意気な口ぶりと、就職活動では一番魅力に乏しい学生だったでしょうね(笑い)。

そういう私が当社に興味を抱いたきっかけは、当時の大原總一郎社長です。新聞や雑誌への執筆、テレビ、ラジオへの出演で会社よりも社会的知名度が高い経営者であり文化人でした。当時から環境問題や企業の社会貢献にいち早く発言していました。
一九六三(昭和三十八)年の秋ごろ岩波書店の雑誌「世界」に、中国に対する戦後自由主義経済圏から初の試みとなるビニロンプラントの輸出について寄稿していました。プラント輸出という言葉にさえなじみのない学生でしたが、「戦争で日本が中国にもたらした荒廃と悲惨の償いになれば……」との考えに共感しました。私企業とはいえもうけ主義だけではないその企業姿勢に引かれ、こういう社長の下で仕事をしたいと思って入社したのです。

ところが、初任地は愛媛県西条市の工場。給与計算が仕事で、当時はそろばんを使った地道な作業でした。「おれみたいな者をそんなことに使うのはもったいない」(笑い)と、転勤したくて仕方なかった。二年半ほどいて、次が新潟県中条町(現、胎内市)の樹脂工場。ここでは従業員の採用や教育、福利厚生など庶務的な仕事が中心。人とかかわる機会は増えたものの、社宅の子供たちのために秋にはイモ掘り大会や遠足など、会社の本業を側面からサポートする仕事ですから、正直なところ充実感は持ちにくかった。
ただ今にして思えば、いろいろな職場の人たちと接触し、さまざまな応用動作が求められる仕事は、非常に得難い経験だったと思います。

そうした中、一つの転機となったのは入社十四年目ごろ、不採算部門の清涼飲料水販売の子会社への出向です。従業員の受け皿を探し、事業を売却して撤退しました。それまでは机上で計画を練るだけの仕事でしたが、初めて自分で行動を起こし、交渉を進めていく立場に立たされた。中小企業だから一人で何役も担当する上に、極秘計画なので相談できる人はいない。自分の力でいろいろな問題を解決していくことを身をもって学びました。まさにPDCA(プラン・ドゥー・チェック・アクション)をやり遂げ、ようやく達成感を感じることができました。
マズローの欲求五段階説に当てはめれば、上から二番目の尊敬・承認の欲求は満たせました。周りから認められることで十分達成感が味わえ、それが次の仕事のモチベーションにつながることが分かって、理想的なことばかり求めなくなった気がします。ちなみに五段階説の一番上は自己実現の欲求。会社には会社の目標があり、社員にもそれに応じた役割がある中で、自己実現に少しでも近づいていくことが理想ですね。

自分の得意領域 人とのつながり

そのために大切なことは、どんな仕事、役割に就いても、当事者意識を持つことです。「随所に主となれ」という言葉がありますが、自分から主体的に参加し、周りの意見を聞きつつ、最終的にはそれらを束ねて実行に移していく。もし失敗すれば責任を取る。そういうことによって鍛えられ、能力がついていく。それが当事者能力というものです。単に自我が強いとか、評論家的な現状分析とは違います。私はそういう観点で人間を見ますね。
それと、どんなことでもいいから、これなら人後に落ちないという何かに取り組んでほしいですね。自分に自信を持てるし、同好の士とのつながりも生まれるかもしれません。これからはビジネスの世界でも、他者とのコラボレーションによってスピードがアップし、世界も広がります。若い人はそのことを絶えず意識して、その有り余るエネルギーと行動力で、随所に主となって羽ばたいていくことを期待しています。