はじめて物語(クラリーノ)

1964年の開発以来、<クラリーノ>は靴、カバン、スポーツ用品、ジャケット、ソファーなどさまざまな分野で用途を拡大してきました。クラレは幾多の苦難を乗り越え、世の中に人工皮革という用語を定着させました。

人工皮革の原点

1960年代はじめの繊維業界は不況ムードに包まれ、主力事業のレーヨンやビニロンも例外ではありませんでした。そのころクラレは当時の先端技術だった「混合溶融紡糸」技術を研究していました。研究者がさまざまな素材を試す中で、ナイロン・コーテッド・ファブリック(NCF)(*)に興味をもち、ナイロンとポリプロピレンの混合繊維からナイロンを溶出することを考えました。実際に混合繊維で不織布をつくり、ナイロン部分を溶出凝固すると皮のようなものが出来上がりました。これがまさに人工皮革の原点となったのです。

  • *織布にナイロン溶液を塗布して水中で凝固させたもの(合成皮革の前身)

靴をターゲットに開発

歩行試験機

今でいう電子顕微鏡のような最新設備はなく「皮」の構造は確かめられません。それでも試作を重ねるうちに天然皮革の風合いに随分近いものを創り上げ、この時点で「靴」を狙うというイメージを固めました。これは一番難しいものから作っていこうという意気込みで、そのためには「強度」を高める必要がありました。ちなみに当時のサンプルは、ペンチで引っ張ると簡単に破れてしまうようなものでした。

試作を繰り返してはサンプルを靴屋に持ち込む。こうした苦悩の日々が続き、ようやく靴らしいものを完成させました。早速、研究室や工場の社員に着用してもらいましたが、混合繊維(ナイロン/ポリプロピレン)とバインダーの耐屈曲性が悪く、靴の屈曲部分がヒビ割れて1ヶ月ももたない代物でした。こうした問題を解決するために試行錯誤を繰り返し、混合繊維の組み合わせを変え、不織布を当時大変高価だったポリウレタンで凝固する製造方法を生み出したのです。

当時、繊維メーカーが皮革事業に進出することに社内で反対もありましたが、レーヨンやビニロンのように天然物を代替するという思想に基づきプロジェクトを進めました。

<クラリーノ>は古い楽器の名前

<クラリーノ>とはトランペットの古い型の吹奏楽器の名称に由来します。<クラリーノ>がクラレというオーケストラの中で吹奏楽器の地位を占め、「勇壮に前進するファンファーレのように鳴り響いてほしい」という当時の社長(大原総一郎)の想いが込められています。

操業後の苦難を乗り越え

1964年に倉敷工場にパイロットプラントを建設し、量産化に向けたプロセス確立を進める一方で、製品サンプルによるマーケティングに奔走しました。天然皮革にない<クラリーノ>の柔らかさは市場で高く評価され、天然皮革と間違えられることもありました。こうした生産とマーケティングの努力の末、1966年には岡山工場で本格プラントの稼働にこぎつけました。

誰もが<クラリーノ>の飛躍を確信していましたが、操業後には大量の紳士靴の返品、海外化学メーカーとの特許係争など相次ぐトラブルに遭遇し、成長への道のりは決して平坦なものではありませんでした。こうした苦難を乗り越え、<クラリーノ>は紳士靴からスポーツ用品、ランドセル、ベルトなど多用な分野へ用途を広げてきました。

アヒルのCM

先人らの努力、品質改良、素材特徴などが受け入れられ、<クラリーノ>は市場で評価が高まりさまざまな用途に進出しました。そうした中で人工皮革<クラリーノ>の知名度を確定的に高めたのがアヒルを登場させたCMです。記憶にある方もいらっしゃると思いますがこのCMが大ヒットし、<クラリーノ>の知名度が急速に広まったのです。